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とある男子高校生の日本深憂日記

日本を愛する男子高校生が嘆き続けるブログ。

保守50連弾(4)「治安対策」

 

タイトルに「治安対策」なんていう大仰なものを持ってきてしまいましたが──

 

(保守50連弾のテーマは、読売新聞が行った高校生へのアンケートから拝借したものです)

 

──実は別に「国際テロ対策」という項目もあって、本当に、この項目で何が日本で問題なのかがわかりません。

 

というわけで今回は、他の項目に当てはまるべきであろう諸般の事情についての意見を軽く、広く書くということにしたいと思います。

 

 

少年犯罪と犯罪予防

少年犯罪が増えているのは──だとか、自然に言う人がいます。これに対する反論も、〝少年犯罪〟と画像検索して頂ければ、いくらでもグラフが出てきますから、どうぞそちらを参照してください。

 

少年犯罪が増えたように、或いは凶悪犯罪が増えたように感じるのは、マスメディアがワイドショー化する中で、そういった犯罪がセンセーショナルに取り上げられることで印象が大きくなる。この印象の大きさが、頭の中で犯罪件数の大きさと置き換えられている、そう考えるのがおそらく一般的で、本当のところでしょう。

 

だから本当に必要なものの考え方は、〝犯罪が増えている気がする。大変だ!〟と騒ぐことではなく〝より安全な国にするためにいかに犯罪を予防するか〟ということになるんだろうと思います。

 

もしかすると今後、書くことができる機会があると思いますが、間違いなく日本は今後、行政サービスの円滑化や防犯対策の中で、緩やかな管理国家になって行きます。

 

マイナンバーは国に管理されるようで嫌だ、と言うような人もいますが、実際のところ、この流れは止まりようがありません。おそらく口座情報から位置情報、健康に関する情報も含めて、国が一元的に管理する時代が来るでしょう。

 

それは我々が夜警国家を捨て、福祉国家へと舵を切った時から半分決まっていたことで、国民の生活を保障することになった国家が、国民そのものを管理してしまった方が効率的、と言うのは実はそれほど難しい論理ではありません。

 

ならば開き直って、それを存分に活かしてやれ──こういう風に考えを転回させるのはどうでしょうか?

 

駅の改札のようなものをいたるところに作り、道路を通り抜けるには、その改札に自分のマイナンバーカードをタッチしなくてはいけない。

 

車に乗るにもマイナンバーカードを挿入しなくてはエンジンがかからない。

 

こういうように、国民の位置情報を完全にコントロールできるようにして仕舞えば、犯罪が起きた途端容疑者が絞り込まれ、未解決事件の件数も減るでしょう。

 

もちろんこれは自分にとっての理想であり、かなり過激な意見だと思いますが、実際のところ、フリーダムとセキュリティという考え方は、セキュリティがフリーダムなものでない限り、矛盾し続けるのです。

 

 

死刑は抑止力たり得るか

かなり〝治安対策〟というところから逸している気もしますが、死刑、と言うことにも話を進めてみましょう。

 

私は法理の専門家ではありませんから、素人考えで申し上げるしかないわけですが、私自身は死刑に抑止力はないと考えています。

 

そもそも人を殺そう、などという大仰な決断をする人が、「この人を殺してしまったら私が死刑になるかもしれない」なんて思うでしょうか?

 

私は思わないと思います。そんな人間は、死刑制度がなくたって、凶器を持って殺したい人間の前に立てば殺すのに怯えてしまうのに違いないのです。

 

では死刑制度は不要か? と聞かれれば、死刑制度は存続すべきであると思います。

 

私は素人考えでいつも2つの理由を言います。

 

1.被害者遺族への形式的償い

被害者遺族が「あんなやつ死刑に」と言うことがあります。それで精神的苦痛が和らぐのならば、絶対的悪たる犯罪者を死刑にし得ると考えます。

 

2.更生し得ない犯罪者の扶養の拒否

 死刑の代わりに終身刑を導入したとすると、国家は、極悪人の面倒を死ぬまで見ることになります。そんなことあって良いのか。それであれば、自らの罪を認めながら、それでいて更生の余地の無い者は、国家がその扶養を拒否するべきだと考えます。

 

これは全く法理に則ったものではありませんが、私自身はこのように思います。

 

というかこの問題は、殺人犯を罰したところで死人は蘇らないのに、なぜ殺人犯を罰するのか、という観点に立って、刑罰について議論してみないことには、確実な答えは出ないんだろうと思います。

 

犯罪抑止としての治安維持

日本の犯罪件数は非常に高い上に、その検挙率の高さから、一見優秀かのように思われます。果たして優秀かと言われれば、検挙しても裁判で勝ち得ないようなケースはそもそも検挙をしないと言うようなこともあるようですから、微妙なラインです。

 

さらに日本人は気質として、そのほとんどが武器を持たざる百姓だったわけですし、革命を起こしたことが無い──武器を持ったことが無い民族ですから、非常に武器を使ったような犯罪は起きにくい。

 

だから、包丁やナイフで何人もを襲うような通り魔的犯行はあっても、銃を持って、それで何にもを殺すような犯罪は、思想的背景がなければ起きづらい(当然、銃の入手が困難であるとも挙げられます)。

 

そのことからか、日本の犯罪予防や治安維持、テロ対策への感心は極めて低い。

 

この程度の意識で、もし大陸の真ん中に日本があったならば、日本はテロによってめちゃくちゃになっていたでしょう(もし大陸の真ん中にあったら、こんなのほほんとした雰囲気にはならなかったんでしょうが)。

 

でもこれからはボーダーレスにテロルがやってくる時代です。或いはインターネットなどを通してあらゆる思想の影響を受け、テロリストになってしまった人、というのも現れかねない。そのとき我々は、国境を封鎖するだとかそういうことではなく、国民全員の思想を調査しなければテロリストの存在を防げなくなる。

 

それの意味するところは、不可能、ということです。

 

ものすごく教科書通りの、概念的なことを言えば、何よりテロリズムを拒否する上で大切なのは、人々がテロルを適切に警戒するということでは無いかと思います。

 

そして、武力では自分たちの望みを叶えるに足らないということをよく理解する、それも大切でしょう。

 

(それが平和を実現するための戦争放棄に繋がるわけではありません)